チエンマイのローイ・クラトング
親しい恋人や友人同士で遊びの感覚でクラトングを流したり、コーム・ローイや打ち上げ花火の打ち上げのために集まっているのが実情で、ソングクラーンの水掛けと並んで、本来の趣旨とはかけ離れて俗化してしまっている。とはいっても、ソングクラーンよりは、はるかに幻想的ではある。 昔からの慣習にならってクラトングには3本の蝋燭を立て更に自分の悪事という意味で数本の髪の毛を入れ、中にはクラトングの中に小銭を乗せて一緒に川に流す人もいる。 川面を流れ下っていく無数ののクラトングの上の蝋燭の火がだんだんと小さな点になっていくのを見るのはこの世のものとは思えないほどまでに幻想的な光景が展開する。 引用:タイの年中行事
夜なのに泳いでいる子供というか餓鬼は何かというと、この小銭を狙って、川の中で泳いでいるのである。実際にクラトーンを水面に浮かべてみればわかるのだが、岸の近くには流れがなくて、クラトーンは浮いているだけで(作りが悪いと浸水して沈むこともある。)、なかなか流れて行かない。そこで、この子供たちが金(5B程度)を貰って、クラトングを川の流れのあるところまで運んでいくのである。岸ではこういう貧乏人の子供(山岳民族の子供である場合が多い。)が客引きをしていた。1回5Bでも人出が多いので実入りが結構入るようだ。しかし、メーピングがどんなに汚れているか知っているので、普通の人は泳ごうとは思わない。まして、11月の夜半であり、寒くて泳ごうとは思わない。もっとも水の中に入ってしまえば寒くはないのだろうが。 | |
メーピングの河畔では、あちこちで花火に火が点けられ炸裂して危険である。近くの屋台では日本の花火大会で上げられる尺玉クラスとか、20連発とか、全く花火の規制がないような状態で、音と硝煙が立ち込めている。どんな状態か左のmpegの画像で百万分の1程度を味わうことができる。 その脇の河畔では、ローイ・クラトングを流す人の群れができていて、聖俗が同居しているような混沌状態で、いいようのない感覚に包まれた。気をつけないと、花火で怪我をするということになるので注意が必要である。各人が勝手気ままに大小の花火を打ち上げて、路上ではねずみ花火に爆竹が投げらつけられている。ワイルン(若者)はどうも人を驚かせるために投げるようで、足元に爆竹を投げて逃げていく者まで出ている。日本の祭りでも、泥んこ祭りとか観光客の顔を泥で真っ黒にするような祭りがあったと思うが、祭りというのは阿波踊りとかリオのカーニバルとか、退屈で虐げられた日常の鬱屈から離れて非日常の行事でカタルシスを味わうというのが目的なのだから、その趣旨には沿っているのだが、やられたら、怒り心頭になってストレスを背負いこむし、耳鳴りがするしロクなことがない。ワローロット橋からナワラット橋などの人が行き交い、欄干からもメーピングにに向かって花火を飛ばしているが、人込みに向かっても花火を投げる調子に乗った愉快犯まで出るので、クラトングを流してしまったらさっさっと帰る方が安全である。 | |
ラチャダムヌン通りからターペー門を通って、ターペー通りからメーピングに至るランナータイの民族衣装を身に纏った人達の行列である。ランナータイの民族衣装は、毎週金曜日に学校や会社(銀行やホテルでも)、制服ではなく民族衣装を身につけるので見ることができる。
ガイドブックから引用、表記とか改変している。
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昼間は1番上の写真のように道路脇に置いてあるのだが、夜が更けてきて、人が踊りながらあるいは歩いて通り過ぎた後、この巨大クラトングの行進がローイ・クラトングのフィナーレの始まりである。クラトングの山車は電気で点灯して、上に美女、美男を載せて、中から音楽ガンガンで、♪ローイ・ローイ・クラトングと流れていくのだが、延々と続いて行く。山車の最前部を見れば、番号が貼ってあるのが見える。ゆっくりとゆっくりと流れていくが、前がつかえてくると止まったままでなかなか流れていかない。こういうところも本当のクラトングと同じである。ラチャダムヌン通りからターペー門(巨大クラトングなので門の中を走れないので南にほんの少し迂回して)、ターペー門からターペー通りを流れていくクラトングである。 | |